第二部−2− 地球の科学

第1章 地震

5. 地震に伴う現象と地震災害

  「○○地震」といえば地震そのもののことだし、「××震災」といえば地震に伴う被害のことである。例えば、1923年9月1日の「関東大地震」は「関東大震災」をもたらした。あるいは、1995年1月17日の「平成7年兵庫県南部地震」は「阪神・淡路大震災」をもたらした。2011年3月11日の巨大地震は東北地方太平洋沖地震で、それによる被害は東日本大震災となる。

目次
a. 地面のゆれ
b. 地盤の液状化
c. 山崩れ・土石流など
d. 津波
e. 本震と余震
f. その他の現象
g. その他の地震災害
用語と補足説明

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a. 地面のゆれ

 地震の際には地面がゆれる。そのゆれの程度は、地震の大きさ(マグニチュード)、震源からの距離、地盤の様子などによって異なる。1923年9月1日の関東大地震のとき、東京では20cm幅でゆれたという(※)。

(※)東北大学固体地球物理学教室
http://zisin.geophys.tohoku.ac.jp/body_earth_day_september.html

 地震の原因となった断層が地表近くにあればそこが大きく揺れる。しかし、1995年1月17日の兵庫県南部地震の際のゆれの大きさを見ると、断層の真上から少しずれたとことで大きくゆれていることがわかる。微妙な地下構造の差によって、ゆれの大きさが違うこともわかる。このゆれが一番大きかった帯状の地域は「震災の帯」といわれている。詳しいことは、日本地震学会Web版広報誌「なゐふる第5号」(1998年1月)参照。

1995年兵庫県南部地震のゆれ(地震調査研究推進本部):
http://www.hp1039.jishin.go.jp/eqchr/f7-14.htm
1978年宮城県沖地震の際に地割れを起こし崩れかかった閖上(ゆりあげ)漁港(宮城県名取市)。写真提供:宮城県広報課。(日本地震学会(Web版なゐふる第16号、1999年11月):
http://www.zisin.jp/pdf/nf-vol16.pdf
厚い堆積層がある関東平野、大阪平野、濃尾平野、新潟平野などでは表面波が増幅されて強い揺れを起こす可能性がある。日本地震学会(Web版なゐふる第60号、2007年3月)
http://www.zisin.jp/pdf/nf-vol60.pdf

 このような大きなゆれでは、木造の建物ばかりではなく、鉄筋コンクリートの建物、高速道路、幹線線路なども崩壊することがあり、それに伴う犠牲者が出ることがある。さらには、電気・ガス・上下水道などのいわゆるライフラインが破損することもある。

 また、強いゆれによって地表に地割れを生ずることもある。ほとんどの場合は、表土が震動によって裂けているだけなので、深さはそれほど深くない。つまり震源の断層が地表に現れたわけではない。

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b. 地盤の液状化

 1964年の新潟地震(M7.5)で注目された。

 液状化とは、水をたくさん含んだ地盤が、地震の際に液体のように振る舞う現象である。建物を支える強度がなくなるので、建物が倒壊したりする。埋め立て地でマンホールが浮き上がったり、また土砂を含んだ水が噴き上がってきたりする。地震考古学は、このような地盤の液状化の痕跡などから、過去の地震の様子を明らかにしようとするものである。

噴砂による堆砂状況
1964年新潟地震で起きた液状化によって倒壊したアパート(新潟地震対策連絡会)
http://www.hrr.mlit.go.jp/bosai/niigatajishin/contents/c24a.html
2000年鳥取県西部地震(M7.3)の際の噴砂の跡、噴出口も見える(国土地理院)。
http://www1.gsi.go.jp/geowww/saigaikiroku/0010-tottorijisin-hp/tottori-jisin.html
2011年東北地方太平沖地震による新浦安駅前の液状化(噴砂現象、市川よみうりonline:http://www.ichiyomi.co.jp/top/News/entori/2011/3/19_pu_an_shi_guang_fan_weide_ye_zhuang_hua_dong_ri_ben_ju_da_de_zhen.html 011年東北地方太平沖地震による浮き上がったマンホール(浦安市、市川よみうりonline:http://www.ichiyomi.co.jp/top/News/entori/2011/3/19_pu_an_shi_guang_fan_weide_ye_zhuang_hua_dong_ri_ben_ju_da_de_zhen.html
液状化の仕組み:鳥取県のページ
 http://www.pref.tottori.jp/kigyou/taisakuiinkai/panf/panf.htm(2008年11月16日現在つながりません)。

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c. 山崩れ・土石流など

 急な地形の多い日本では、地震のゆれによって山崩れが起き、それが谷になだれ落ちて土石流を発生させることがある。

 1923年の関東大地震の際も、震源に近かった神奈川県の根府川で大規模な土石流(山津波)が複数発生し4kmほど流れ下り、根府川集落(400人以上)や東海道線の根府川駅に停車していた列車(300名以上の乗員・乗客)・プラットホームまでも海に押し流している(死者400人以上)。また、1984年の長野県西部地震では、御嶽山の南東部の尾根が崩壊して、下流の王滝村を中心に29名の犠牲者を出している。




関東大地震のとき発生した土石流に埋まった根府川の集落(「有鄰No.429(平成15年8月)」):
http://www.yurindo.co.jp/yurin/back/429_3.html
1984年長野県西部地震による御岳崩れ。左1979年(発生前)、右1984年(発生後)(岐阜県)
http://www.pref.gifu.lg.jp/pref/s11653/kazan/onkatu.htm

 1847年の善光寺地震(M7.4、死者1万人程度?(※))では、信濃川上流の犀川の虚空蔵山で大規模な山崩れが発生して川をせき止めた。出現した巨大な湖は約半月後に決壊し、善光寺平に土石流となって押し寄せた。死者100名程度。洪水の規模の割りに犠牲者が少ないのは、それなりに下流への連絡体制が敷かれていたからである。

山崩れ-ダムと湖-決壊の図(高知大学岡村土研):
http://sc1.cc.kochi-u.ac.jp/~mako-ok/nankai/18yamatsunami.html
湖になった地域(湛水地域)と洪水地域の図(高知大学岡村土研):
http://sc1.cc.kochi-u.ac.jp/~mako-ok/nankai/18yamatsunami.html

※ 死者は松代領で2,695、飯山領で586、善光寺領で2,486。あと全国から善光寺に参拝に来ていた7,000〜8,000人のうち8割〜9割が犠牲になったといわれている(参拝客数は特定できない)。激しい震動により倒壊した建物の下敷きになったり、直後に発生した火災の犠牲になったりした。現在の善光寺でも、ずれた柱など、このときの地震の爪痕を見ることができる。

地震でずれた善光寺の柱(東京大学地震研究所):
http://www.eri.u-tokyo.ac.jp/SSO/data/zenkoji/index.html(2008年11月16日現在つながりません)
鐘が落ちて傷ついた柱(東京大学地震研究所):
http://www.eri.u-tokyo.ac.jp/SSO/data/zenkoji/index.html(2008年11月16日現在つながりません)

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d. 津波

 多くの津波は、地震により海底の地形が急激に変動することによって、海水がゆすられて起こる。ふつう水面で起きている波は風によって起こされているので、水は表面付近でしかゆれていない。ところが津波は海底から水面までの水が一斉に動くのである。ふつうの波とは比較にならないほどのエネルギーを持っている。

 下図は、日本列島の太平洋側で多いプレート境界(プレートもぐり込み)で発生する大地震に伴う津波の模式図である。こうした地震では、一気に「押し波」として日本列島を襲うことがわかる。

プレートもぐり込みによる海溝型大地震の際の津波発生の模式図(富士市)
http://www.city.fuji.shizuoka.jp/hp/page000012100/hpg000012057.htm

 ただし、上の図は極端に上下方向に拡大している。日本列島から海溝までの距離は数十km以上あるし、地震の際の跳ね上がりの大きさ=海底の盛り上がりの大きさは大地震の数mから、巨大地震でも5〜6m程度である。また、波長は数十km以上ある。つまり数十kmの長さで数mの高さの違いしかないので、沖合で船に乗っていてはまったくわからないだろう。

逆断層で海底の図のように変形すると、陸地にはいきなり押し波として襲ってくる。 正断層で海底の地形が図のように変形すると、津波はまず引き波として始まる。


2004年12月26日のスマトラ島沖地震による津波。浅い角度の逆断層(衝上断層)がインド側に突き上げたため、インド側では押し波から、逆にタイ側では海水が引っ張られたために引き波から始まった。この図では高さを極端に誇張してある。波長数100kmに対し、高さは数m程度。
産総研佐竹氏に加筆
http://staff.aist.go.jp/kenji.satake/Sumatra-J.html

 しかし、津波の伝わる速さは海の深さの平方根に比例する。そこで、陸に近づいて水深が浅くなると進む速さが遅くなり、そのため前面がつかえてきて波高が増す。巨大な津波の場合、波高が数十mになることも珍しくはない。そもそも、津波とは“津(港)”の波、つまり港内に入って初めて目立つ波という意味であった。

 ただ、どんな津波でもその伝わる速さは地震波よりは遅い。だから、津波は地震の後でしか来ない(すぐに来ることもあるので注意)。だから、海岸での地震は何にもました津波警報なのである。残念ながら、日本は巨大津波によって、過去に多くの犠牲者を出している。

 陸に押し寄せるときの津波の形は、海底の地形などにより様々な形を取る。前面が切り立ってまるで水の壁が襲ってくるようなもの(津波は波長が長いので、その背後はずっと海水が続いていることになる、風によるふつうの波と違って、非常にゆったりとした周期(数十分以上も珍しくない)で寄せては引くということになるので、押し寄せるときは海からの圧倒的な量の海水がずっと続き、濁流のようになって陸を駆け上る)、満ち潮みたいにひたひたと水位が上がってくるものなどいろいろある。いずれにしても、風による波とは、波高が同じだとしても比べものにならないほどエネルギーが大きい。

 具体的には秒速10m程度の海水の勢い、しかもその海水は砂や泥を巻き上げることによって密度が高くなっている。すなわち衝撃力や浮力がふつうの真水はもちろん、海水よりも遙かに強くなっている。おとなの人間でも膝上の高さでも押し倒される危険がある。腰以上の高さになれば、屈強な人でも流されてしまうだろう。高さ3mを超えれば木造の家は持ちこたえられない。

 また波長(周期)が非常に長い波なので、押し寄せる状態が十数分続く。2004年12月26日のスマトラ島沖地震の津波映像では、洪水のように海から内陸に海水が“流れている”状態になっていたことがよくわかる。この状態が十数分続いたあと、今度は十数分かけて水が引いていき、また十数分かけて押し寄せてくるのである。

津波:上は満ち潮のようにひたひたと押し寄せるタイプ。中は水の壁となって押し寄せるタイプ。下はふつうの波。


2004年12月26日、スマトラ島沖地震(Mw9.0)による津波。赤が波の山、青が波の谷。タイ・ミャンマー側では引き波から、インドネシア北部やスリランカ・インド側では押し波から、タイ・ミャンマー側では引き波から始まっていることがわかる。また波長がこのような広域地図で表されるような非常に長い波であることもわかる。さらに震源域の近くでなければ、地震後かなり経ってから津波が押し寄せてくることもわかる。地震は予知できなくても、津波は予報できるのである。
このアニメは産総研(当時)佐竹氏による。
http://staff.aist.go.jp/kenji.satake/Sumatra-J.html
2011年3月11日東北地方太平沖地震による津波。まず、引き波から始まって、次に押し波が来ている。東大地震研佐竹氏による。
http://outreach.eri.u-tokyo.ac.jp/eqvolc/201103_tohoku/

 

水の壁として海岸に迫る津波。水の壁の背後はそのままの高さの海になっている。2004年12月スマトラ島沖地震による津波。
http://www.asiantsunamivideos.com/
水の壁の後ろが平らな水面になっていることがよくわかる。2004年12月スマトラ島沖地震による津波。
http://www.asiantsunamivideos.com/
津波が襲ってきた。津波に飲み込まれようとしている船からスケールがわかる。母親が家族に危急を知らせようとしている。この家族は奇跡的に助かったようだ。2004年12月スマトラ島沖地震による津波。
http://www.asiantsunamivideos.com/
津波前のインドネシアのバンダ・アチェの衛星画像 きれいな家々や道路が押し流されてしまった津波のあとのバンダ・アチェ
http://www.digitalglobe.com/tsunami_gallery.html(2008年11月16日現在つながりません)
引き波。押し寄せるときは海岸に平行に来た波も、引いていくときは狭い流路をつくって引いていく。この狭い流路の流れはものすごく強い流れになって、浮いたものをあっという間に沖まで運んでしまう。
http://www.digitalglobe.com/tsunami_gallery.html(2008年11月16日現在つながりません)

 2011年3月11日起きた巨大地震(Mw9.0)では、東日本の太平洋側を巨大な津波が襲った。

宮古市の防潮堤を乗り越える津波。後ろは平らな海面。海底の泥・砂を巻き上げた真っ黒な海水。youtube映像から。
http://www.youtube.com/watch?v=TLu3dj1PM1A
おいらせ町の防潮堤を乗り越える津波。ここでも後ろは平らな海面。youtube映像から。
http://www.youtube.com/watch?v=Ct9GEaWAmJg
釜石市の防潮堤を後越えた津波が奔流となって町を襲う。youtube映像から。
http://www.youtube.com/watch?v=AamvilJkxS0
仙台市名取地区、平野を津波の先端が飲み込んでいく。youtube映像から。
http://www.youtube.com/watch?v=RM3HDODpieY&NR=1

  1993年北海道南西沖地震でも、震源域に近かった奥尻島ではあっという間に津波が押し寄せてきている。夜10時という時間もあり、逃げ切れずに多数の犠牲者(死者不明者130人)を出している。奥尻島青苗地区の市街地でも、場所により波高10mを越えたという。

1993年北海道南西沖地震の津波で壊滅した奥尻島青苗地区(地震調査研究推進本部)
http://www.hp1039.jishin.go.jp/eqchr/figures/f3-15.jpg

 津波についてはこちらも参照

 なお、大地震の際には、湾や湖の水全体が揺すられるために、水が振動する「セイシュ」という現象が起こることがある。

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e. 本震と余震

 大きな地震が起ると、必ずそれに付随する小さな地震が起る。大きな地震を本震といい、小さな地震を余震という。岩盤に蓄えられた歪みのエネルギーが本震によって解放されるのだが、その本震によってまわりには逆に歪みが生じ、そのために余震が起こるのである。余震の数は、ほぼ時間に反比例して減っていく。しかし、巨大地震では余震は数年、十数年、またはそれ以上続くことがある。

 ふつうは本震のマグニチュードより2つ以上は小さい。しかし、マグニチュードが1くらいしか小さくない余震が起こることもある。

 余震の震源は、本震の震源のまわりに広がっている。この広がりを余震域といい、地震断層(震源域)の大きさ・形を反映していると考えられる。下図は1995年1月17日に起きた兵庫県南部地震の本震と余震を示す。この付近の断層はa.地面のゆれを参照。ここではたまたま本震が余震域のほぼ中央にあるが、本震が余震域の端の方にある場合もある。

1995年兵庫県南部地震の本震と余震の分布(防災科学技術研究所) 
http://www.hinet.bosai.go.jp/about_earthquake/PNG/fig7.1.png

 なお、本震の前に小さな地震が起ることもあり、それを前震という。ただし、どのような大地震・巨大地震の前にも、その前兆となる前震が起こるというわけではない。

 また、とりわけ大きな地震は起きないが、数多くの地震が起る場合もあり、それを群発地震という。長野県松代周辺で、1965年8月〜1967年10月に起きた群発地震はその顕著な例であり、最盛期の1966年4月には、1日に600回以上の有感地震があった。

f. その他の現象

f−1 地殻変動

  地震とは、地下の岩盤に蓄えられた歪みエネルギーが破壊(断層運動)という形で解放される現象である。だから、その前後で、歪みの蓄積→解放という地殻変動が観測される。現在ではGPS(グローバル・ポジショニング・システム、複数のGPS衛星の電波を受信知ることにより正確な位置を求める)の発達により、地殻変動の連続観測も可能になった。

 歪みが蓄積している地域は地震の危険地帯だといえる。だが、どの程度の歪みがたまったら地震が起こるのかはよくわかっていない。

 また現在(2003年9月)、東海地方には、「異常」と認められる地殻変動が観測されている。この件については、国土地理院のサイトを参照。

2003年5月26日宮城県沖地震のときの地殻変動(国土地理院)
http://cais.gsi.go.jp/HENDOU/index16.html(2008年11月16日現在つながりません)
関東大地震(1923年)のときの地殻変動、房総半島、三浦半島の先端が大きくはね上がっているのがわかる。地震の前はゆっくと沈降し、その量以上にはね上がる。(地震調査研究推進本部:
http://www.hp1039.jishin.go.jp/eqchr/f5-14.htm

f−2 地球電磁気学

 地磁気・地電位・電気抵抗等の変化や、電磁放射の異常などがあるかもしれないと考えれている。だが、日本では交通機関などの人間活動に伴う電磁気的ノイズが大きいので、これらの中から有意な異常をを確認することは困難とされている。それでも、大学・国土地理院・気象庁などでも観測が行われている。民間でもやっている人がいる。

f−3 地下水・温泉、大気の鳴動、発光現象など

 大地震に伴って、地下水位や水質、温泉の水温・湧出量が変化することがあるということが報告されている。松山の道後温泉は、南海道沖の地震のたびに湧出が止まり、数ヶ月後に回復するという。しかし、1995年の兵庫県南部地震のときは、井戸水の明瞭な変化は報告されていない。

 地震動が空気中に音波として伝わると、ゴー、ザー、ドーンという鳴動が聞こえることがある。

 地震の際の発光現象も報告されているが、原因は不明である。一部には電線のスパークもあるようである。2001年4月3日深夜(M5.3)の静岡県で起きた地震の際の発光現象の映像はこちら(NHKの映像より(2006年1月現在リンク先がありません)、約700KB)。

f−4 火山噴火との関係

 1707年、宝永の東海・南海の宝永地震(M8.4、日本でで起きた最大級の地震、遠州灘と紀伊半島沖でほぼ同時に起きた二つの地震(双子地震)の可能性がある)の1か月半後に富士山の山腹噴火(宝永山)があった。1605年の南海・東海・(房総沖)の慶長地震(M7.9、ほぼ同時に起きた二つの地震(双子地震)の可能性がある)の9か月後に八丈島の噴火があった。1960年チリ地震(Mw9.5)の3日後、Puyehue火山の噴火があった。

 地震によってマグマだまりがゆすられて、発泡したのかもしれない。

g. その他の地震災害

g−1 火災

 地震のときにしばしば火災が発生する。1923年9月1日に起きた関東大地震のときもそうであった。地震発生がちょうどお昼時ということも、火災の発生を多くした要因であろう。たまたま台風が日本海を通過していて、風が強かったことも火災を拡大した要因になった。

 火元は東京全体で163カ所、うち79カ所は初期消火に成功し、残りの84カ所から延焼したという。他の火元もあったらしい。火元の内訳はよくわからないが、かまど、七輪など家庭用から88件、薬品26件などとも報告されている。

 延焼の速さは、速いときと場所で1時間に820m(1分で14m、家が1〜2件燃え尽きる速さ)だったという。昼のうちは火災地域はまだ分散していたが、夜になると合流して一気に拡大したという。なかでも、大勢の人が逃げ込んだ本所の陸軍被服廠跡地(軍服を作る工場の跡地)で熱旋風が発生し、ここだけで4.4000人が犠牲になっている。他に浅草の田中小学校でも約1,000人、あとは駅前の広場、橋のたもとなどで犠牲者が多い。陸軍被服廠跡地では持ち込んだ家財道具に火が移って、被害を拡大したという。駅前広場や橋のたもとなどは、そこまで逃げたがまわりから火が迫って逃げ場を失ったのだろう。完全に鎮火したのは、3日の10時ころ、結局東京市(現在の23区内)では、71%の家が焼失した。

 横浜市でも火災の被害は甚大であった。149の火元のうち、70カ所から延焼したという。他の市町村でも被害は大きかった。

 関東大地震(関東大震災)による全体での犠牲者数は約105,000人に達したという。もし火災がなければ、犠牲者数は14,000人程度だっただろうという推定もある。それでも、1896年の「明治三陸地震津波」の犠牲者数(22,000人)につぎ、1995年の兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)の犠牲者数(6,432人)を上回るものである。

 14,000人という火災以外の犠牲者の大半は家屋倒壊の伴う圧死(これは阪神淡路大震災と同じ)、他に山崩れで800人、津波でも150人が犠牲になっている。なにしろ、関東大地震のときに震度7でゆれた地域の広さは、兵庫県南部地震のときの広さの10倍にもなった、巨大地震だったのだ。

※ この項の数字は、「歴史地震」(宇佐見龍夫、イルカぶっくす(海洋出版)、1976年)、「関東大震災」(武村雅之、鹿島出版会、2003年)に依る。また、関東大地震の際のゆれと被害については、日本地震学会Web版なゐふるの「なゐふる文庫」の「続・揺れのお話」(武村雅之)が参考になる。

g−2 デマ

 地震の後にデマが流れることがある。もっともふつうに流れるデマは、「もっと強い地震が来る(もっと強いゆれがくる)」というものであろう。しかし、余震は本震より小さいのがふつうである。ただし、本震で本来の強度をなくした建築物が、余震で被害を受けることもあるので、警戒は必要である。

 1923年の関東大地震のさいには、「朝鮮人が井戸に毒を入れて回っている」「朝鮮人が暴動を起こした」などというデマが飛んだ。関東地方の広範囲に同じ形のデマが流れているので、意図的にデマを流した組織があるという推測もできる。もっとも、ふだんから朝鮮人に対する差別をしていたという自覚(意識していなかったかもしれない)が、デマがあっというまに蔓延する背景にあったのだろう。

 このために一般市民による自警団があちこちで組織され、6,000人以上(正確な数は不明)の朝鮮人(や中国人、また日本人も)が虐殺されたという。朝鮮語はラ行の発音がないということで、見知らぬ人が町内に入ってくると日本刀や竹槍・鳶口などで武装した自警団がそのひとに「『らりるれろ』をいってみろ」などといい、うまく発音できないと朝鮮人と見なして虐殺したのである。おそろしい形相、しかも武装した人たちに取り囲まれて、うまくしゃべれるわけなどない。市民が市民を殺すという事実があったということを忘れてはならない。

 さらに地震の後の混乱時、本来は戦争・内乱時に限定されていたはずの戒厳令(通常の法律がストップ、軍・警察が逮捕状なしに個人を検挙・拘束などの行動が自由にできる)が発令された。そして、ふだんから公安当局に目をつけられていた無政府主義者の大杉栄(と同居していた女性=伊藤野枝、またたまたま大杉栄のうちに来ていた6歳の甥)が憲兵に検挙され、3人とも虐殺された。6歳の甥は大杉栄の妹の子でアメリカ国籍であった。アメリカ国籍の子供までも殺したことはさすがに大問題になり(アメリカ政府からの厳重抗議に軍も狼狽して)、事件を公にせざるを得なかった。この事件の首謀者甘粕正彦憲兵隊分隊長は懲役10年の刑を受けた。だが、3年で出所。のちに「満州」に渡り、「夜の満州は甘粕が支配する」などという隠然たる力を持つようになった。こうした経緯をみても、大杉栄虐殺事件は、彼だけの責任でなされたとは言い難い。

 大杉栄事件以外にも、労働組合員10名を警察・軍が殺した「亀戸事件」、軍隊・警察に地元自警団も加わったという中国人労働者多数(300人ともいわれれる)を殺した「大島町事件」なども起きた。

 なお、この当時、朝鮮は日本領であり(1910年〜1945年)、多くの朝鮮人が日本にいた。また台湾も日本領であったためもあり(1895年〜1945年)、台湾や中国からも多くの人が日本に来ていた。

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用語と補足説明

津波の伝わる速さ津波の伝わる速さは、海が深いところでは海の深さの平方根に比例する。すなわち海が深いほど速く伝わる。津波の伝わる速さv(m・s-1)は、海の深さ(m)、重力加速度g(m・s-2、9.8m・s-2)とすると下表のようになる。


総務省消防庁
http://www.fdma.go.jp/ugoki/h1410/10-14.pdf

 深い海では秒速200mくらいで伝わることがわかる。確かにジェット機並みの速さではあるが、地震波の伝わる速さのkm・s-1のオーダー(P波であれば5km・s-1程度(地盤の性質によってかなり値は違う))と比べればかなり遅い。だから、津波は地震が来てしばらくたってからやってくる。つまり、逃げることができる可能性が高い。海岸での地震は、何にもました「津波警報」なのである。

津波警報:気象庁は津波の恐れがあるときには、直ちに津波予報を発表する。津波警報には、「津波警報:大津波」(高いところでは3m以上の津波が予想されるので、厳重な警戒)、「津波警報:津波」(高いところでは2m程度の津波が予想されるので警戒)、「津波注意報:津波注意」(高いところで0.5m程度の津波が予想されるので注意)の3種類ある。


2011年3月11日15時33分に出た津波警報。気象庁:http://www.jma.go.jp/jma/press/1103/11b/kaisetsu201103111600.pdf

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巨大津波日本は過去、しばしば津波に襲われてきた。これは、日本はまわりを海に取り囲まれ、さらにその海に震源を持つ大地震、巨大地震がしばしば起こるからである。とりわけ三陸地方は、湾の奥が狭くなって津波のエネルギーが集中しやすいリアス式の海岸が続くので、過去に何回か巨大津波に襲われている。下の明治以後の津波被害の表を参照。さらに2011年3月11日の桐朋地方太平洋沖地震(Mw9.0)によって発生した大津波によって、死者・行方不明者は3万人を超えた被害を出している。


総務省消防庁
http://www.fdma.go.jp/ugoki/h1410/10-14.pdf

a.1896年6月15日19時20分ころ、「明治三陸地震津波」(津波を考慮したマグニチュード8.5)が起きた。ゆれはそれほど大きくなかったので(せいぜい震度3)、震害は出なかった。だが、ゆったりとした長周期のゆれが数分間続いたという。地震の20分から30分後、三陸を中心に巨大津波が襲った。最大波高は綾里で記録された38.2m(13階建てのビル程度)である。他にも吉浜で24.4m、田老で14.6m。三陸地方を中心に約22,000人の犠牲者が出た。この津波はハワイ、さらにはカリフォルニアにまで達した。

 震源断層がゆっくりとずれ動いた地震だといわれている。このときの波高38.2mが、はっきりとした記録では日本最高である。

b.1933年3月3日真夜中の2時半ころ「三陸地震津波」(マグニチュード8.1)が起きた。この地震は三陸地方で震度5のところもあった。そして、30分後くらいに巨大津波が襲った。最大波高は綾里で28.7mに達した。三陸を中心に3,000人以上の犠牲者が出た。

 この地震は、日本列島に潜り込む太平洋プレートがぽっきりと折れた正断層によって生じたといわれている。

c.1960年5月23日2時ころから「チリ地震津波」(表面波マグニチュード8.5、モーメント・マグニチュード9.5)が、北海道南部から沖縄を襲った。太平洋の対岸チリ沖で起きた巨大地震(人類が近代的な地震観測を行ってからの最大の地震)で発生した津波が、17,000kmの太平洋を22.5時間かけて横断してきたのだ(時速760km、秒速210m、上の津波の伝わる速さ参照)。最大波高は三陸で6m程度(といっても鉄筋の建物の2階の天井くらいの高さ)。犠牲者数は日本全体で142名。巨大地震とはいえ、太平洋の反対側で起きた地震なので、まったくの無警戒であった。気象庁はこれ以後、外国で起きた地震に対しても、津波の予報を出すようになった。

d.1703年12月31日「元禄地震」(マグニチュード7.9〜8.2)。関東大地震(1923年9月1日、マグニチュード7.9)の前の相模トラフの巨大地震だが、震源はもう少し日本海溝側に寄っていたようだ。震動による被害は小田原で大きい(城下は全滅)。津波は一般にリアス式海岸のようにV字状に湾奥が狭まっていると危ないといわれている。だから、逆に房総半島の九十九里の海岸のように平坦な海岸ではそれほど危なくないと思われているふしがある。しかし、この地震では九十九里海岸にも10mを越える津波が押し寄せている。こうした海岸でも、地震が起こったときは津波がやってくる可能性を頭に入れておかなくてはならない。

e.1771年4月24日「八重山地震津波」(マグニチュード7.4)。震動による被害は報告されていない。しかし、巨大な津波が八重山諸島、宮古諸島などを襲った。全体での犠牲者数12,000人以上。なかでも石垣島の被害は甚大で、島の人口は半減している(全滅した集落もある、約17,000の石垣島民のうち犠牲者数8,815人)。石垣島の人口が回復したのは、150年後、大正の時代になってからである。一説には波高は80mを越えたという。ただし、この波高には異説もあり、40m〜50m程度だったのではないかともいわれている。海抜50mを越える地点で、根無しのサンゴ礁の巨大な塊がたくさん存在している。いずれにしても巨大津波であったことは間違いない。

※ 岩波「科学」(2012年2月号)の「学際的研究が解き明かす1771年明和大津波」(後藤和久、島袋綾野)では、遡上高は石垣島東海岸で最大30m、宮古島南岸で12m、多々良島で15mとしている。

 江戸時代、しかも離島にもかかわらず犠牲者の数が正確にわかっているのは、当時この地方は「人頭税」(人間一人一人に税金をかける)が科せられていたからである。当時の琉球は一方では中国(明)に朝貢し、また一方では薩摩藩の「琉球征服(琉球征伐)」(1609年)によって薩摩藩に対しても朝貢しなくてはならなかった。だから、さらに弱い立場の八重山・宮古諸島の人たちを過酷な形で支配したのだ。そして、津波の被害の救済策もとられないまま明治維新を迎え、そこでも「琉球処分」(1879年(明治12年))が行われた。

明和の大津波による犠牲者の慰霊碑(1983年建立)。 右の碑文のそれぞれをクリックすると拡大します。
大浜公園(崎原公園)にある津波石(津波で打ち上げられたサンゴ礁の岩塊)。人物の身長は172cm。上に登れるように階段がついている。津波で打ち上げられたサンゴ礁の岩塊であることはほぼ確実だが、1771年の津波によるものかについては、まだ断定はできない。岩波「科学」(2012年2月号)の「学際的研究が解き明かす1771年明和大津波」(後藤和久、島袋綾野)では、2000年前の津波によるとしている。つまり、2000年前にも大津波が襲ったことになる。 右のこんもりした木立が津波石。道路の向こうに海が見える。海岸から200m程度離れた海抜5〜6m地点。
右上の巨岩が根無し岩であることがわかる。 サンゴの形も残っている。
上の写真はすべて石垣島。2006年12月撮影。
理科年表では石垣島近くに震源域があるM7.4の地震としているが、琉球海溝沿いで起きたM8クラスの巨大地震(プレート巨魁型の逆断層、右図参照)だった可能性もある。 大津波なった原因として、地震が引き金になって海底で大規模な地滑りが起きたためという考えもある。

f.1792年5月21日「雲仙大変肥後迷惑」。折から雲仙普賢岳も噴火中であった。そのときマグニチュード6.4と推定される地震が起き、雲仙の前山(天狗山)が崩れ、大量の土砂が島原海になだれ落ち、津波が発生した。津波は対岸の熊本を襲い、全体で15,000人以上の犠牲者が出た。雲仙で天変地異が起こり、対岸の肥後(熊本)で大被害が出たので、「雲仙大変肥後迷惑」といわれている。このときの土砂は現在九十九島(つくもじま)として、見ることができる。1990年〜1995年の普賢岳の火山活動の際も、こうした被害の再現が恐れられていた。

 津波はこのように、海底の地形が地震によって急激に変形することによって発生するだけではなく、海岸での土砂崩れ、あるいは海底火山・火山島の火山活動によって発生することもある。

g.1958年アラスカのリツヤ湾の津波。マグニチュード8クラスの地震のために、フィヨルドの岩壁が崩れ、その土砂が一気に湾に落ち込んだ。このために巨大な水跳ねが起き(水膜状だったという)、対岸の520mの高さまで駈け上り、その高さまでの木々を根こそぎ洗い流した。この520mという高さが、確認できる(広い意味での)津波の高さとしては最高記録である。

 アラスカなので住民はおらず、そういう被害はなかったが、たまたま小型漁船(乗員2名)が3隻湾内で操業していた。うち1隻はあえなく沈没してしまったが、残りの2隻は奇跡的に助かっている(うち1隻は湾外に出る津波にサーフィンのように乗った)。この2隻の4名の生存者の目撃談で、津波の様子を詳しく知ることができた。

 リツヤ湾の津波については、「1958 Lituya Bay Tsunami」(英語)参照。すさまじい破壊の跡を示す写真が見られる。

h.スマトラ島沖地震による津波

 2004年12月26日、インドネシアのスマトラ島沖にモーメントマグニチュード(Mw)9.0という巨大地震が起きた。この地震により、津波が発生し、スマトラ島だけではなく、インド洋沿岸に大被害をもたらした。死者は16万人を超えるという空前の津波被害である。この津波については、インド洋津波被害調査グループのホームページを参照。

i.東北地方太平沖地震による津波

 2011年3月11日、東北の太平洋側で起きた海溝型の巨大地震モーメントマグニチュード(Mw)9.0)で発生した大津波は、東北〜関東北部に多大な被害をもたらした。4月2日現在、被害の全貌はまだ明らかではないが、犠牲者の数は3万人を超える可能性が高い。この地震は典型的な海溝型大地震(潜り込む太平洋プレートと北米プレート(オホーツクプレート)の境界で発生した低角逆断層)であった。断層の長さは400kmを超え、幅は17km、最大のずれは20mの規模であり、これが2、3回に分けて破壊したと思われる。この地震についてはこちらも参照

田老の高さ10m、上辺の幅3m、総延長2.4kmの防潮堤。
国土交通省釜石港湾事務所:http://www.pa.thr.mlit.go.jp/kamaishi/bousai/b01_02.html
2011年3月11日の大津波では堤防の一部が破損し、それ以外の場所でも堤防を乗り越えた。
日経BPケンプラッツ:http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/const/news/20110331/546733/?ST=print

 18世紀以降、1000名以上の犠牲者を出した下の津波の一覧表からも、この津波の被害の大きさがわかる。なお、(火山)とあるのは、火山噴火(崩壊)によって生じた津波による。

年月日 津波名 犠牲者
1741 渡島大島(火山) 日本 2,000以上
1755 リスボン ポルトガル 62,000
1771 八重山 日本 9,209
1783 パルミ イタリア 1,504
1792 島原普賢岳・眉山(火山) 日本 15,200
1815 バリ インドネシア 10,253
1854 安政東海 日本 2-3,000
1854 安政南海 日本 数千
1856 サンガール(火山) インドネシア 3,000
1868 チリ沖 チリ 25,000
1883 クラカトア(火山) インドネシア 36,000
1896 明治三陸 日本 22,000
1906 チリ沖 チリ 3,760
1922 チリ沖 チリ 1,000
1933 昭和三陸 日本 3,064
1944 昭和東南海 日本 1,223
1946 昭和南海 日本 1,330
1960 チリ沖 チリ 5,700(日本139名)
1976 ミンダナオ フィリピン 8,000
1992 フローレス インドネシア 1,713
1998 シッサノ パプアニューギニア 2,300以上

京都大学防災研究所
http://inpaku.dpri.kyoto-u.ac.jp/jp/think/sea/tsunami_jpn/

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双子地震隣り合った地域でほぼ同時に起こる地震。地震計のない時代では、ひとつの巨大地震か、二つの大地震がほぼ同時に起きたのかは判断しにくい。南海地震と東南海地震は連動して発生することが多く、歴史上確認された8回の発生のうち、2回は両者がほぼ同時に発生しているという。

改良大森公式:余震の発生率(n(t):tは本震からの経過時間)の時間的変化がほぼ時間に反比例するということがわかって、さらに詳しく「改良大森公式」が大森房吉によって提唱された。
  n(t)=K/(t+c) p       
 ここでK は余震の多さ、c は本震直後の余震の起こり難さ、p は時間とともに減衰する程度を表わす。

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