文部科学省のスーパーサイエンスハイスクール構想を批判する


山賀 進

1.スーパーサイエンスハイスクール構想とは

 スーパーサイエンスハイスクール構想(注1)とは、文部科学省から学校として指定を受ければ、学習指導要領の枠にとらわれない理数系の科目を重視した教科課程(カリキュラム)を組める、またそのために1校あたり3,000万円程度の予算も付くというものである。文部科学省はとりあえず20校程度(今年度は26校)、将来的には100校程度を目標に、こうした学校をつくるようである。

 その内容を簡単にまとめると、a.高校および中高一貫校(中等教育校)において理数系を重視したカリキュラムの研究をする、b.大学や研究機関との連携を探る、c.科学クラブなどの活動を推進する、というものである。
 目的は「将来有為な科学技術系人材の育成に資する」(文部科学省)というものである。

 なお、このスーパーサイエンスハイスクール構想は、幼稚園・小学校から高校までを統括する文部科学省の初等中等教育局だけではなく、科学技術・学術政策局との共同事業である。実際、今年度予算を見ると、初等中等教育局側は約1,700万円くらいであるのに対し、科学技術・学術政策局側は約7.1億円と桁が違う。またこの予算請求は「構造改革特別要求」として出されている。 

 だがじつは、この構想はさらに大きな構想の一貫でもある。大枠として予算規模57億円(今年度)の、「科学技術・理科大好きプラン−技術革新や産業競争力強化を担う将来有為な科学技術系人材の育成−」(注2)というものがある。これには上記2局の他、さらに生涯学習政策局もからんでいる。この構想の一貫として、たとえば「先進的科学技術・理科教育用デジタル教材の開発」というものもある。それは最大3,000万円×30本で、受注競争が大変だったときいている。そのコンテンツのお披露目は、6月22日(土)に行われた。次期の募集も始まっている。

(注1)文部科学省はスーパーサイエンスハイスクール構想について、以下の文書で説明している。

(1) スーパーサイエンスハイスクールの説明は下の文書にある。
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/14/04/020416a.htm
ここに、スーパーサイエンスハイスクールの趣旨と内容、予算が載っている。

(2) 今年度の指定校名とその研究内容は下の文書に出ている。
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/14/04/020416b.htm
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/14/04/020416c.htm
なお、今年度の応募校と指定校の数は下にある。
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/14/04/020416.htm
今年度は77校の応募があり、公立高校20校、私立高校3校、国立高校3校の合計26校が指定されたことがわかる。

(注2)大枠である「科学・理科大好きプラン」については下の文書を参照。
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/13/09/010924/02/2-01.pdf
http://www.mext.go.jp/a_menu/kagaku/daisuki/main10_a4.htm
上の文書の最後の図で、スーパーサイエンスハイスクール構想とデジタル教材の関係がわかる。下の文書には募集情報(コンペ情報)も載っている。

※ 事情通の間では(教育業界では)、スーパーサイエンスハイスクールのことをSSHというらしい。

2. なぜいまスーパーサイエンスハイスクールなのか

 今年度から小学校・中学校ではすでに完全実施され、高校でも来年度から年次進行で実施される指導要領の特徴は、学校週5日制に完全対応し、また「ゆとり」を重視しているということある。具体的には授業時間数・教育内容が著しく削減されている(とくに小学校・中学校において)。

 理数系の内容の削減に対しては、いろいろな立場からの批判があり、マスコミをもにぎわしている。この学習指導要領に対しては、教育関係者からばかりか、経済界からの強い批判もある。文部科学省への批判を大胆にまとめると、「科学技術創造立国としての日本の存在を危うくする」というものであろうか。(注3)

 文部科学省はそうした批判に答えるため、この4月に「確かな学力の向上のための2002アピール『学びのすすめ』」(平成14年4月17日)を出した(注4)。ここでは「学習指導要領は最低基準」と明記されている。そしてこのアピールの別紙の、「学校の取組を支援するための国の施策」の「2.発展的な学習で、一人一人の個性等に応じて子どもの力をより伸ばす」の中で、「スーパーサイエンスハイスクールやスーパー・イングリッシュ・ランゲージ・ハイスクールを創設する。」(注5)とある。

 文部科学省自身、「理科が好きだ」「将来、科学を使う職業につきたい」という生徒が、国際的に見て最低レベルである(OECD調査)ということには危機感を持っている。「科学技術創造立国」を実現するため、将来のトップレベルの科学技術の担い手は育成したい。しかし、昔みたいに生徒全員一律の平均的なレベルアップを図る必要はない。そこで、「個に応じた指導の充実」(学習指導要領)をお墨付きに、優秀な人材の育成を図ることにした。文部科学省は「将来有為な科学技術者の育成に資する学校を『スーパーサイエンスハイスクール』と位置づけ」(科学技術・理科大好きプラン)といっている。

 こうした文部科学省(国)の考えを、私なりに翻訳するとこうだ。日本はもう中級技術者はいらない。単純作業は賃金の安い東アジア・東南アジアに任せることや(工場・資本の海外進出)、コンピュータ・ロボットを使うことで対応できる。でも、高度の科学技術系の人材は絶対に必要だ。これはそれほど多くの人数である必要はない。そこで少数に限って理数エリートは養成することにした。その具体的な施策の一つがスーパーサイエンスハイスクール構想だ、というものである。

 日本全体の科学のレベル(教育の質)を平均的に上げるためには、まず各学校の学級定数を少なくして(教員を多く配置して)、立派な設備をつくり、さらに実験器具も潤沢に揃えるようしなくてはならない。つまり、ソフト・ハードの充実をはからなくてはならない。だが、これにはべらぼうな費用がかかる。たとえば教員を一人多く配置するだけで、その経費は、退職金も含めた生涯の平均賃金や諸経費も考えれば、年間1千万円程度にはなろう。しかもそれは何十年も続く。全国で100人の教員を増やすだけで年間10億円の負担となる(もちろん直接の国庫負担ばかりではないが)。

 それに対して、スーパーサイエンスハイスクール構想は、わずか年間7億円の出費ですむ。文部科学省は、この圧倒的な「コストパフォーマンス」を考えて、というよりは日本全体の底上げはもう必要ないと判断して、こちらの道を選んだのだろう。将来100校程度に増やすとしても、全国の高校の数が約5,500ということを考えれば、それはそのうちのごく一部にしかすぎない。まさに、文部科学省公認の「理数エリート養成校」ということになろう。

(注3)文部科学省の学習指導要領に対する批判の一つとして、教育界ばかりか、経済界の方々も呼びかけ人となっている「指導要領実施反対」の署名運動がある。下のサイトを参照。
http://www.naee2002.gr.jp/index.html

(注4)文部科学省の「学びのすすめ」アピールは下に出ている。
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/14/01/f_020107.htm

(注5)スーパー・イングリッシュ・ランゲージ・ハイスクール構想とは、英語教育を重点的に行う学校で、主要科目の授業を英語でやったりする。今年度は全国で16校指定された。予算規模は総額で8,000万円。この構想については、文部科学省の下のサイトを参照。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/020/sesaku/020402.htm

3. スーパーサイエンスハイスクール構想と私の職場

 私の学校にスーパーサイエンスハイスクール構想の正式な案内が来たのは、今年の1月21日(それも異例なファックスで!)のことであった。

 もう少し詳しく書くと、「平成14年度『スーパーサイエンスハイスクールに関する教育研究開発実施希望調査について(照会)」(文部科学省初等中等教育局教育課程課長、同省学術政策局基盤政策課長)という文書が、平成14年(2002年)1月15日付けで発行され(注6)、それが東京都生活文化局私学部私学行政課長の平成14年(2002年)1月18日付け文書になって、1月21日に私の学校に届いた(転送された)というわけである。そして、都に対するスーパーサイエンスハイスクールへの応募の締め切りは、2月13日(国の締め切りは2月20日)という慌ただしいものであった。

 私立学校においては、1月末から2月初めは入学試験を実施するという、年間スケジュール上もっとも忙しい、また緊張している時期である。私はこの構想については、昨年の夏段階からある程度知っていたが、多くの同僚にとっては寝耳に水の状態だったようである。逆に私は、これは「できレース」と思っていたので、ほとんど関心はなかった(注7)

 だが、都からの正式な案内がくれば、理科として正式に検討せざるを得ない。しかし、上に書いたように十分な時間は保証できない。しかしそうした中でも、いちおう何回かの真剣な討議が行われた。科内の議論を公開するわけにはいかないが、理科の同僚の中にもいろいろな意見があったことは事実である。しかし、最終的には応募しないことになった。私の意見を理由に応募しないことになったわけではないが、私はこの構想には反対なので、私の職場が応募しないことになってちょっとほっとした。

(注6) 平成14年度「『スーパーサイエンスハイスクール』に関する教育研究開発実施希望調査について(照会)」の全文は、下のサイトで読むことができる。
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/14/01/020114/06.htm

(注7)たとえば朝日新聞2001年10月22日朝刊の<国立大付属校どこへゆく 大学の再編統合で影響>という記事を参照。ここではすでにこの時点で、筑波大学付属駒場高校が指定を受けることが半ば決まっているようになことが載っている。そして、実際にも指定を受けた。

4. 今年度のスーパーサイエンスハイスクール校

 この構想に対しては全国で77校の応募があった。そして、指定を受けたのは公立高校20校、私立高校3校、国立高校3校の計26校である。これは今後3年間は継続する。指定を受けた学校の「研究内容」は、文部科学省のサイトで見ることができる(注8)。しかし、応募したが指定を受けることができなかった学校の名と、その「研究」しようと思っていた内容はわからない。さらに、なぜある学校が指定を受け、逆にある学校はなぜ指定を受けることができなかったかもわからない。非常に不透明な選考だと思う。

 指定を受けた各学校の研究内容について、個別の批判ができるほどの情報を持ち合わせてはいない。しかし、全体にとくにスーパーサイエンスハイスクールに指定されなくても、内容的には普通の学校でもできるようなものが多いと思う。指導要領の枠をはずして、理数系の授業時間を多く取ることができること(他の教科の授業時間数を圧迫することだ!)、何よりもそれに加えて3,000万円ほどの別枠の予算(請求書類の整備が大変だそうだ)が組めることが魅力で応募したのかもしれない。だが、この指定を受けるということは、理科だけの問題ではなく、学校全体として「理数エリート校」(予備軍)としての指定を受けたということだと思う。つまり学校の性格が変わるということである。

(注8)これについては1.の(注1)の(2)参照。

5. 最後に

 文部科学省の学習指導要領に対しては、批判的な意見を持っている現場の教員は多いと思う。私自身も批判的である。だが、私の観点は多くの人とは違うかもしれない。

 私は、文部科学省はそれなりにそれぞれの時代の要請に応えようとして、学習指導要領を改訂してきていると思っている。だが、その要請とは何だったのだろう。またどこからの要請だったのだろう。

 戦後の混乱期が終わってから、スプートニク・ショックを経て、高度経済成長期のころまでは、質の高い科学・技術者をできるだけ多く育成しなくてはならないという要請があったと思う。そのころは小学校・中学校・高等学校の学習指導要領で示される理数系の教科内容も、いまと比べると格段に詳しく深かった。ではだれが、そうした人材を必要としていたのだろう。漠然と書けばそれは「世の中」ということになるが、一番発言力を持っていたのはやはり経済界だったと思う。端的にいえば、そのころの経済界は中級〜高級技術者を大量に必要としていたのである。工業高校、大学の理工学部、さらには高等専門学校がどんどん拡大し、また新しくつくられていった時代である。

 しかし、一つは高度経済成長を経て日本の労働者の賃金が、欧米に近い水準まで上がってしまったこと、もう一つはコンピュータの発達により、中級技術者(あるいは一部の高級技術者)がしていた仕事の多くが、コンピュータで代替できるようになってきたこと、これらのために、もう日本全体の科学・技術を担う人たちを多く養成する必要はなくなってしまったのである。そしてそれは、理数系の人材だけの問題ではない。ようするに、全体の底上げの必要がなくなってしまったのだ。

 そこで、「詰め込み教育」批判、「受験地獄」批判を背景に、高度経済成長期以後に、理数系に代表される教科内容の削減に踏み切ったというわけだ。その一つの到達点が今回の指導要領であろう。だが、少数のエリート(理数などに特化した)はいまでも必要である。私は、その少数の理数エリート養成のための具体策の一つが、スーパーサイエンスハイスクール構想だと考えている(2参照)。これはつまり、エリートと非エリートを分離する一種の愚民政策といってよい。

 だが私は、世の中が複雑になった今日こそ、全体の教育の質を高め、個々の人間としてのさまざまな能力を開花させ、そして一人一人の判断力を高める必要があると思う。たとえば、人類の二酸化炭素の排出による地球温暖化が、現在の大きな課題の一つになっている。この温暖化問題を考えるにあたっては物理や化学、生物や地学の総合的な知識が必要なことはいうまでもない。そればかりか、市民と企業の問題、国家間の問題、また具体的には炭素税とか排出権取引の問題などの政治や経済の問題も考え、それらに対して適切な判断をしていかなくてはならない。さらに、二酸化炭素排出をできるだけ抑える生活をどうやって実現するかを考えるためには、人間はどう生きていくべきか、どう生きていくことができるかなどをも考える必要がある。そのためにも、あるいはそのためにこそ、すべての子どもたちに対する、質の高い全人的・総合的な教育を目指すべきだと考えている。

 上のような、私の考え方には同意できない人も多いと思う。だがそのような私を含めて、文部科学省の指導要領には、さまざまな立場からの多くの批判があることも事実だろう。でも、ではなぜこうした批判の多い学習指導要領が作成され、実施されていくのだろうか。このことをも真剣に考えなくてはならないと思う。
 私は上にも書いたように、文部科学省は旧文部省の時代から、初等教育から中等教育、さらには高等教育までを一貫して、そして理科だけではなく全教科・科目のバランスをそれなりに考えてきていると思っている。ただその内容が私の目指すところとは違うので、私には受け入れられないだけである。

 一方、私もその一員である現場の理科の教員は、どうしても理科の枠内で、それもたとえば自分が教員をしている高校だけ、中学校だけ、あるいは小学校だけという観点になってしまいがちである。これではなかなか文部科学省と、文部科学省が発布する学習指導要領(本来は学校教育法に基づく省令である施行規則の別表にしかすぎない)に対抗できない。

 文部科学省と全面的に向き合うのなら、批判する側も初等教育から高等教育までを一貫して、また理科だけではない全教科・科目をも視野に入れて考えるべきだと思う。そして、本当に必要な教育とは何か、現場の理科の教員としてその中で何ができるのか、何を目指すべきなのかというとらえ返しがつねに必要だと思う。私は、それはたんなる「科学技術創造立国」としての日本の未来を危うくするという立場だけのものであってはならないと考えている。

2002年8月21日記

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