コミンテルン 佐々木太郎 中公新書 ISBN978-4-12-102843-3 1,050円+税 2025年2月

 筆者は、東京理科大経営学部卒業後、国際政治学・インテリジェンスを専門とするという経歴をもっている。

 コミンテルン(第3インター)は、ソ連共産党のソ連共産党によるソ連共産党のための組織という程度の認識しか持っていなかったが、その認識は間違っていなかったことが確認できた。つまり、世界の共産主義運動にとってコミンテルンは、桎梏以外の何ものでなかったという認識。

 そうなってしまったのはもちろんスターリンのせいだが、レーニンがもう少し生きていたとして、またトロツキーがレーニンを嗣いだとして、どうだったのだろう。たしかに、共産党が政権を取れたのは(革命が成功したのは)帝政ロシア(→ソ連)のみ、レーニンが期待したドイツも頓挫、そうした四面楚歌の中で、国内ばかりか各国共産党と支持者に「ソ連(共産党)を守る」ことを第一義とすることを“鉄の規律”で強いる、それ以外の道はなかったのだろうか。

 「民族問題の専門家」として、ソ連共産党内でのヘゲモニーを握って行くスターリン。でも、産業革命以後、“資本”は“国家”や“民族”の枠を超えてしまったわけだから、それに対抗するのに、“国家”や“民族”の枠内で考えることが、そもそも矛盾だと思う。それでも、国家(政府)には官僚組織とか、警察・軍という実体があるので、とりあえずは国家の枠でその政府を倒す運動を行うということはわかる。でも、民族っていったい何? その専門家って何?

※ 日本共産党が「“民族”民主統一戦線」の看板を下ろしたのは2004年。だがそれは、言葉を換えただけで、彼らの中ではまだ“民族”は生きている。彼らのいう“民族”って何。偉大なる倭民族?

 もっと根本的には、共産主義はもう過去の思想か、あるいはまだ検討の余地があるのか、今なお未来を指し示す指針なのか、それは自分の能力を超える問題。でも、資本主義がうまくいっているかというと、そうではないという現実はあると思う。少なくとも理想的なものではないことは確か。

 だがしかし、妖怪としての「共産主義(者)」(アカ)は亡霊としてしっかりと生き残っていると思う。それは日本の自民党右派から参政党・保守党の人たち・支持者ばかりではなく、アメリカの共和党員たちの脳内に。

 先日のNHK BS世界のドキュメンタリー「狙われた図書館」では、人種問題や性的マイノリティーなどを扱った本の背後には共産主義者がいるという、実体がないイメージだけの仮想敵をつくり、マッカーシー時代そのままに対立と分断を煽る共和党員たちがいて、内容的な検討なしに相手を”共産主義者”というだけで十分な批判だと思っている、彼らは共産主義がわかっているのだろうか。そして本当に本を燃やしたりしていた。まさに、焚書坑儒の漫画的現代版、そればかりか図書館秘書には実際にも脅迫。そしてその考え・行為に共感する人が多いからこそ、現大統領が存在しているという厳しい現実。

 こうしたドキュメンタリーが、今はアメリカではなく、フランス&カナダが製作したということも示唆的だと思う。かつてのベトナム戦争時、「ハーツ・アンド・マインズ/ベトナム戦争の真実」(アメリカ、1974年、ピーター・デイヴィス)を作ったのはアメリカ自身だった。当時このドキュメンタリーを見たとき、いろいろあるけどアメリカって懐が深いなと思った自分がいた(←過去形)。

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2025年6月記

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