三陸(岩手)

2017年6月5日〜8日、三陸(岩手)を巡り、帰りに福島第一原発付近の放射線量値を測りました。

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上の地図をクリックすると、今回訪問した三陸地方をgoogle mapでご覧いただけます。 上の地図をクリックすると、福島第一原発付近をgoogle mapでご覧いただけます。なお帰宅困難地域の地図はこのページの一番下にあります。

(1) 1日目(6月5日)

 朝、9時過ぎにネコを動物病院に預かって貰ってから出発。首都高から東北道経由で大船渡を目指します。途中3回ほど休んだり、昼食をとったりしてのんびりと。一関ICで降りて大船渡を目指します。海岸沿いに出ると、至る所で工事中(防潮堤やかさ上げ工事)でした。途中の陸前高田の奇跡の一般松を見学します。お土産屋さんやラーメン屋さんなどがある大きな駐車場から15分くらい歩くと奇跡の一本松です。前には津波で破壊されたコンクリート施設もあり、津波の破壊力がわかります。また辺り一帯は防潮堤工事が続いています。振り返ると、津波で流された市役所などの旧市街の中心あたりのかさ上げ工事が見られます。

 宿舎の大船渡プラザホテルまではここから30分ほど。海岸沿いは大規模な防潮堤の工事が続いています。プラザホテルには18時前に到着。夕食はホテル前のこの5月にオープンしたという復興施設キャッセン大船渡内の「お魚ファクトリー」で食べました。ここは魚屋さんも兼ねていて、ここで選んだお刺身を食べることもできます。

kisekinoipponmatsu.jpg (214140 バイト) 左の画像をクリックすると、この日のアルバム(静止画)をご覧いただけます。

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(2) 2日目(6月6日)

 この日はまずホテル隣のJR大船渡駅を見てみます。かつての鉄道軌道跡を専用道路として利用したバス路線が盛(さかり)から気仙沼まで続いています。その後、三陸鉄道南リアス線の南端盛駅を目指します。南リアス線はここから釜石まで通じています。気仙沼までのJRバスの始発駅でもあります。またここは、おもにコンクリートの材料を運搬する岩手開発鉄道(貨物線、赤崎〜岩手石橋)も走っています。

 次に向かったのは宮古湾の浄土ヶ浜です。アワビやウニ、刺し網漁に使う小型漁船(サッパ船)に乗って、「青の洞窟」を目指します。この日は青ではなく、琥珀色でした。船を下りた後、浄土ヶ浜を散策します。

 北リアス線にも乗りたかったので、田老〜堀内(ほりない)を往復することにしました。片道1時間(1,080円)ほどです。田老発13時35分発久慈行きに乗り、堀内には14時23分に到着。ワンマンカーの2両編成の列車はがらがら、数人の乗客しかいませんでした。堀内はNHK朝の連続ドラマ「あまちゃん」では袖ヶ浜駅としてロケに使われました。駅から出て少し海岸に向かって歩いてみましたが、とくに何もありません。復路jは堀内発14時41分発宮古行きに乗ります。今度は一変満員です。大手旅行会社のツアー客でした。彼らが譜代で降りてしまうとまたがらがらになりました。田老には15時半につきました。

 宿舎に入る前、リアス海岸の断崖がよく見える鵜の巣断崖に寄りました。宿舎である野田玉川駅と堀内駅の間くらいにあるえぼし荘に着いたのは17時ころでした。夕食にオプションでいちご煮(赤いウニをイチゴに見立てた煮物)を頼んでおきました。残念ながらこのウニは赤くなく、イチゴの感じがしませんでした。この宿は復興工事関係の宿泊者が多く、みな質素な食事をして、さらに次の日の朝も早く仕事に出発していました。

左の画像をクリックすると、浄土ヶ浜のサッパ船観光の(4K60P)動画をご覧いただけます。
左の画像をクリックすると、三陸鉄道北リアス線堀内駅から大沢橋梁に向かう列車の前面展望と、大沢橋梁付近の(4K60P)動画をご覧いただけます。
horinaieki.jpg (367056 バイト) 左の画像をクリックすると、この日のアルバム(静止画)をご覧いただけます。

 

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(3) 3日目(6月7日)

  この時期、日の出は4時ころだということなので、少し前から部屋の縁側で待機です。まさに部屋の真ん前から朝日が昇ってきます。雲が多い空ですが、運良く水平線のところは雲が薄く昇ってくる朝日がよく見えました。また、雲があったために見事な朝焼けになりました。その後、朝風呂(露天風呂)でも朝日を楽しみました。 朝食後、えぼし荘の別館でもある曲り家を見学しました。宿の売店で、イチゴに雑炊のレトルトパックを買いました。

 この日最初に向かったのは龍泉洞です。海岸沿いを走る国道45号は工事車両が多く走っていました。龍泉洞は2016年9月2日に台風10号による大雨で地底湖から洞窟入り口に水があふれ出し(洞窟が水没し)、内部の施設に被害が出て、再開できるか心配されたほどです。2017年3月19日にようやく営業が再開されました。この洞窟の売りはなんといっても透明度の高い水の地底湖です。第3地底湖(深さ98m)までが公開されています。第4地底湖(未公開)は水深120m以上あることが確認されています。さらにその奥にも地底湖があるようです。これらの地底湖の調査の過程、死亡事故も発生しています(1968年)。きのう北リアス線で一緒だったツアー客も来ていました。

 洞窟見学後は、内陸の道を通って久慈の琥珀博物館を目指します。博物館は久慈よりもかなり内陸側にあります。かつてこのあたりは琥珀の鉱山があったところで、博物館敷地内(屋外)に坑道跡も残っています。漠然と、琥珀のもとになったのは松ヤニと思っていましたが、針葉樹ばかりか広葉樹の樹脂も琥珀になるそうです。琥珀博物館にはミュージアムショップがありましたが、高いので、隣のリトアニ館でウォッカを買ってしまいました。

 その後久慈駅前に出ました。久慈駅は三陸鉄道北リアス線の北端でもあり、八戸に通じるJR八戸線の始発駅でもあります。駅前の「まめぶ家」でまめぶ定食を食べました。まめぶは餡とくるみが入った丸いお餅を、片栗粉でとろみを付けたけんちん汁みたいなおつゆです。不思議な味ですが美味しい。そこで、来たり明日先駆次駅の売店で、まめぶ雑炊のレトルトパックを買いました。

 あとは、釜石の街外れにある宝来館を目指します。途中また田老によって、津波の跡の見てみました。自慢だった高さ10mの分厚い防潮堤は無残にも破壊されてしまっています。また、6階建て鉄筋の田老観光ホテルは、高さ17mと推定される津波で4階まで浸水、2階までは完全に破壊されています。予約すると中の見学もできるようです。その後、高台の復興住宅などを見学してから釜石に向かいました。

 この日の宿舎の宝来館は釜石市の中心からはかなり離れていて、箱崎半島の付け根の北あたりになります。道路もまだ修復中でした。この宝来館も津波で1階が浸水したそうです。あとでまったく偶然ですが、女将の話から不思議な縁がある宿屋だということがわかりました。 

左の画像をクリックすると、えぼし荘から見る日の出の(4K60P)動画をご覧いただけます。
ryusendo.jpg (137045 バイト) 左の画像をクリックすると、この日のアルバム(静止画)をご覧いただけます。一番最後のティラノザウルスは動画です。

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(4) 4日目(6月8日)

 この日は帰京です。少し箱崎半島の北側を走ってみました。湾になったところはここも防潮堤を建設していました。その後、地元の人に勧められていたので、すぐに東北道に出ないで国道45号を南下することにしました。往路で見た陸前高田の奇跡の一本松(駐車場)を基点に、まだかさ上げ工事途中(一部復興施設ができている)の市のかつての中心部(市役所があったところ)などを回ってみました。南三陸からは自動車専用道路が仙台まで続いていますが、さらに国道45号を南下しました。昼食は途中にあった道の駅津山の食事処木里口(きりぐち)で、木里口冷やしそばを食べました。おろし天冷やしぶっかけそばに、シナチクなども入っているという不思議なお蕎麦でした。

 ガソリンスタンドを探して給油した後、桃生津山ICから三陸自動車道に乗り、そのまま常磐道に入りました。そして、常磐道の南相馬ICで降り、国道6号を走ってみました。国道6号は帰宅困難区域を貫いています。帰宅困難区域は自動車は通行許可証なしで通過できますが、歩行者はもちろん自動二輪車の通行も禁止されています。所々で止まって放射線量を測ってみました。福島第一原発にもっとも近づいたと思われる地点(原発から2.4km、原発への道路の分岐地点)では0.77μSv/h、もう少し進んだところでは1.08μSv/hを示しました。また、かつて東京側からはここまでしか行くことのできなかった広野ICでは0.10μAv/hでした。広野ICは原発事故の約1年後(2012年5月5日)にも行ったことがあり、そのときは1.82μSv/hを計測しました。逆に考えると、事故から1年後の、原発から2.4km地点での放射線量値はすさまじかったことになります。常磐道のこのあたりには、広野IC〜南相馬IC間の放射線量値が電光掲示板で表示されています。その最大値は3.2μSv/hでした。この値は、通常の一般人に対する限界線量である1mSv/年に、わずか13日間で達してしまうというものです。

 帰宅困難区域内の国道6号沿いの民家・店舗は無住になっています。そこで営まれていた平穏な生活が突然理不尽に破られたと思うと、とても写真撮影できるようなものではありませんでした。

 広野ICから再び常磐道に乗りました。途中中郷SAで一休み。SAなのでレストランがあるかと思って入ったのですが、軽食を提供するコーナーしかありませんでした。とりあえずラーメン。あとは帰宅するだけです。渋滞もなく順調でした。

daiichigenpatsutikaku.jpg (251919 バイト) 左の画像をクリックすると、この日のアルバム(静止画)をご覧いただけます。
帰宅困難区域と常磐道、国道6号。2017年6月10日確認。https://jobando.jp/information/access.html(NEXCO東日本)

2017年6月記

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