5 環境汚染と環境破壊

 破壊することは簡単でも、修復することは難しい。環境もまず、できるだけ壊さないようにしなくてはならない。

5・1 四大公害病

 日本は1950年代から60年代にかけて、未曾有の環境汚染とそれに伴う公害病を経験した。なかでも、水俣病、イタイイタイ病、カネミ油症、四日市ぜん息(喘息)の被害が典型的である。

※ 一般には、四大公害病は「水俣病」「新潟水俣病」「イタイイタイ病」「四日市ぜん息」を指すことが多い。ここでは原因物質が同じ水銀である水俣病を一括し、ダイオキシンやPCBが原因物質であるカネミ油症を加えた。

(1) 水俣病

 熊本県水俣市の(株)チッソという会社が製造していたアセトアルデヒド(化学製品の原料になる)をつくる工程で触媒として用いた水銀が、工場排水として自然界に流され、それが有機水銀(メチル水銀)となり、生物濃縮で高濃度になった魚介類をたくさん食べた人から発症した(1956年頃が発生のピーク)。おもな症状は、感覚障害、運動失調、視野狭窄(きょうさく)、聴力障害などで、ひどい場合は脳を冒し、死に至る。また母親が妊娠中に水銀で汚染された魚介類を食べた場合、胎児水俣病が発症することがある。

 熊本大学医学部水俣病研究班は、1959年に原因物質を究明していたが、政府が認めたのは1968年であった。この遅れのため、新潟水俣病 (阿賀野川有機水銀中毒事件、1965年頃、昭和電工の工場の廃液) を防げなかったともいえる。その後、外国でも水俣病の発生が報告されている。

 水俣病については2010年3月に、未認定患者(政府の基準は特有の症状が二つ以上現れている人、未認定患者はその症状が一つでもある人)の団体である不知火患者会と国との和解が成立し、その後各地の原告団との和解も成立している。

 一方、新潟水俣病については2010年10月に、残った未認定患者(第4次訴訟原告団)との和解がようやく合意した。第1次訴訟が1967年(1971年に患者側の勝訴判決)からじつに43年がかかっている

 熊本の水俣病訴訟は1969年、原告団勝訴判決は1973年と新潟水俣病よりも遅れたのは、1959年にチッソと患者が結んだ見舞金契約(死亡者に一時金30万円、生存者には年間で10万円という少ない金額、でも多くの患者たちは貧しくて正月をむかえる金がないという状態だった)の中に、「将来、水俣病の原因がチッソということがわかっても、それ以上の要求はしない」と書かれていたことが制約になっていた。

 原告団が和解を受け入れたのは、やはり患者の高齢化が進み、これ以上訴訟を長引かせることはできないと判断したことが大きいだろう。

 ただ、「患者」をどう認定するか(症状ばかりではなく、すんでいた地域、食生活(魚をたくさん食べた)の証明、生まれた年(1969年以降に生まれた日という制限)など)という問題はまだ残された課題である。また、チッソの補償金支払いを保証するため、国と熊本県はチッソに対して475億円(支払対象者2万人を想定)の貸し付けも決定した(2010年9月)。事実上、国の責任で支払うということである。もっとも、この想定されている患者数でいいのかとか、会社分割を考えているチッソ(液晶など利益を生む子会社と、補償を担当する親会社に分割し、子会社を売却し、親会社を精算する)の動向の問題などもある。

※ 有機水銀(メチル水銀)はアセトアルデヒド製造過程で触媒として使われてい水銀が、その過程でメチル水銀になったことがわかった。つまり、メチル水銀がそのまま海に流れ出ていたのである。また無機水銀(金属水銀)も、海底の微生物の働きによってメチル水銀になる。「水俣病の科学」(西村肇、岡本達明、日本評論社、ISBN4-535-58303-X、3,300円、2001年6月)参照。

※ 麻布高校OBで、水俣病を追い続けた記録映画監督土本典昭氏の講演を聴いたことがある(2000年5月)。氏の話、「たぶんノーモア広島だろうが、ワンモア水俣だろう。それは、たんに化学物質による害が繰り返されるというだけではない。そうしたときの社会の対応、すなわち政府・自治体の無責任、企業の隠蔽工作、金で釣られた医者(科学者)の登場、患者と非患者の違い、患者たち内部での意見の相違、これらすべてをひっくるめて繰り返されることだ。」は、まさにその通りだと思う。

水俣病患者発生地域 メチル水銀の汚染経路
環境省環境白書平成18年版 http://www.env.go.jp/policy/hakusyo/hakusyo.php3?kid=225

補足:生物濃縮

 生物が外界から取り込んだ物質を体内に高濃度で蓄積する現象を生物濃縮という。食物連鎖の段階を上がるごとに(例えば植物プランクトン→動物プランクトン→小さい魚→大きな魚という具合)、どんどん濃縮されていき、自然状態の数千倍から数万倍、数百万倍にまで濃縮されることがある。この物質が有害な場合に公害病などの原因となる。水俣病の原因となった水銀を始め、農薬(DDTやBHC)、PCB、ダイオキシンなども濃縮される。どんなに薄めても、自然界に漏れてしまうと危険ということである。ただし、水俣病では、それほどの高段階濃縮ではなく、もともとのメチル水銀の濃度が異常に高いということが第一の原因である。「水俣病の科学」参照。

(2) イタイイタイ病

 岐阜県の三井金属工業の神岡鉱山の鉱滓(こうさい)からしみ出たカドミウム(亜鉛を精錬した残り滓(かす)に入っていた)が、神通川下流の水田を汚染し、そこで栽培された米を食べた人たちから発症した。発病は第二次世界大戦後から始まるが、政府が原因を認めたのは1968年である。カドミウムは腎臓障害を起こし、その結果カルシウムの代謝に異常をきたし、骨からカルシウムが奪われるため骨がもろくなる。重症になると簡単な刺激、例えば咳をしただけで肋骨が折れたりする。その激痛のためイタイイタイ病という病名になった。

 裁判は1968年の第1次訴訟(原告団28名)に始まり(訴訟は第7次まである)、1972年8月の名古屋高裁での原告団全面勝利に終わった。

(3) カネミ油症

 1968年頃、カネミ倉庫という会社がつくった米ぬか油(食用油)を使った人たちの間で発症した。原因は、米ぬか油の脱臭の工程で使ったPCB(ポリ塩化ビフェニル)が混入したためである。のちに、本当の原因物質はPCBの中にごくわずか混じっていたダイオキシンだとわかった。カネミ倉庫の経営難を補償していた政府の「米保管」契約(年間2億円)が2010年以降が結ばれなくなる見込みとなり、患者への見舞金と医療費負担が今後どうなるか(そもそも和解金も支払われていない)、不透明な状態になってきた。

補足:ダイオキシン類

 二つのベンゼン環が二つの酸素で結ばれた狭い意味でのダイオキシン(そのなかでもどの炭素のどの位置に塩素がつくかで毒性が異なり、2、3、7、8の位置に塩素がついたダイオキシンがもっとも毒性が強い(右図))、二つのベンゼン環が一つの酸素で結ばれ、それに塩素や水素がついたジベンゾフラン、さらに二つのベンゼン環が直接結びついたコプラナーPCB、この三つを総称してダイオキシン(類)という。いままでカネミ油症の原因物質はPCBといわれてきたが、じつはPCBが熱せられてできたジベンゾフランが本当の原因物質だという。

 ダイオキシンは、ホルモンや一部のウィルスのように、生物の細胞の中でレセプターと結合して、酵素や遺伝子を狂わせる。そのため、ごく微量でも強い毒性を示す。いわゆる環境ホルモン的働きをするということである(5・3参照)。

 このため日本における法律的許容量(許容1日摂取量(TEQ))も、1日に体重1kgあたり4pg(ピコグラム、1pgは1兆分の1g)という非常に小さい値に決められている。日本人のダイオキシンの平均摂取量は、魚介類を中心に1.36pgと見られている(環境白書平成17年版)。

 ダイオキシンの発生源の80%が都市のゴミの焼却炉だという(文部科学省も各学校の焼却炉を使わないように指導している(1997.7.23))。ゴミ焼却炉などに対するダイオキシン排出規制の結果、ダイオキシン類の排出量は確かに減ってきていて、1999年に制定されたダイオキシン法(ダイオキシン類対策特別措置法)が目標にしていた1997年に比べ90%減を上回る95%減となった(環境白書平成17年版)。

 だが、DDTのように使用禁止になって久しい農薬の体内濃度が依然増加していることからもわかるように、このような化学物質は製造・使用が禁止されても長く環境中に残ってしまう。実際日本においては、現在ゴミの焼却炉などから発生しているダイオキシンよりも、土壌中の残留農薬に含まれているダイオキシンの量の方が多いという。この件については環境リスク学(中西準子、日本評論社 ISBN4-535-58409-5、2002年9月、1,890円)参照。

※ ゴミ焼却炉とダイオキシンについては、1990年代後半に、所沢で大きな問題になったことがある。所沢のくぬぎ山には半径500m圏内に十数基もの産業廃棄物焼却炉が建設されていて、『産廃銀座』と呼ばれたことさえもあった。ゴミ焼却に伴い発生するダイオキシンは炉の温度を800℃以上に保てば防げるといわれているが、当時のくぬぎ山の焼却炉は800℃以下の小型焼却炉であった。このため、1995年の調査で、くぬぎ山周辺土壌と焼却灰からそれぞれ100〜500 pg/g及び2000〜4000 pg/gという高濃度のダイオキシンが検出された(pgはピコグラム、1グラムの1兆分の1)。

 1999年テレビ朝日が独自調査を行い、報道番組で所沢の野菜(“葉っぱも”のという表現、じつはお茶)が高濃度で汚染されているという報道をしたところ、所沢産というだけでその野菜の不買運動が起こった。農家の訴訟、テレビ局側の「不適切な表現があった」という謝罪があった。

図5-1b ダイオキシン類の排出量の変化
環境白書平成22年版
http://www.env.go.jp/policy/hakusyo/h22/html/hj10020403.html#n2_4_3_3
図5-1c 日本人のダイオキシンの摂取量
環境白書平成22年版
http://www.env.go.jp/policy/hakusyo/h22/html/hj10020403.html#n2_4_3_3
食品からのダイオキシン類の1日摂取量の変化
環境白書平成22年版
http://www.env.go.jp/policy/hakusyo/h22/html/hj10020403.html#n2_4_3_3

(4) 四日市ぜん息

 三重県四日市市の石油コンビナートの排煙、とくにその中の二酸化イオウのために起きたぜん息。1960年代のもっともひどいときには、50歳以上の住民の10%以上が発病した地区もあった。裁判は1967年の6社を被告とした第1次訴訟に始まり、1972年の原告勝訴判決となった。

※ 被告の中の1社、石原産業は1969年に四日市港に強酸性溶液を垂れ流した事件を起こし、それ以後も何回か不祥事を起こしている。

 四日市市周辺ばかりでなく、現在でも大気汚染は深刻である。例えば、光化学スモッグ(光化学オキシダント)などは、現在でも大都市ではしばしば注意報・警報が出る。東京都では、2010年に10月現在で注意報が22回発令された。このように、一時減ってきた光化学スモッグは最近また増えてきた。これは、中国・韓国の経済発展に伴う、大気汚染物質の流入の影響が強いだろうと思われる。

補足:光化学スモッグ(光化学オキシダント)

 工場からの煙や、自動車の排気ガスなどに含まれている窒素酸化物と炭化水素が、太陽光線の中の紫外線の働きでオゾンとPAN(パーオキシアセチルナイトレート) と呼ばれる酸化力の強いものに変化し(オゾンとPANを総称してオキシダントという)、人の場合は目、鼻、喉・気管などが冒される。6月〜8月ころの、風が弱くて気温が高く晴れた日に発生しやすい。

 日本では大気中のオキシダント濃度が0.12ppmを越えると<光化学注意報>、0.24ppmを越えると<光化学警報>が出される。なお、ppmは百万分の一を表す。

 東京都環境局環境改善部大気保全課では、光化学注意報等の発令情報をインターネットを通じて確認できるようにしている。


環境省報道発表資料(平成25年4月30日):http://www.env.go.jp/press/press.php?serial=16602

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