第二部−2− 地球の科学

第16章 日本列島

目次
1. 日本列島
用語と補足説明
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1.日本列島

 日本列島そのものは、ユーラシアプレートと北米プレートに乗っていて、これらは太平洋プレートにより東から、フィリピン海プレートにより南から押され、太平洋プレートとフィリピン海プレートは海溝やトラフをつくって潜り込んでいる。こうして、日本は3つのプレートが1カ所で接する三重点(トリプルジャンクション)が近くに2つもあるという、極めて複雑な様子を示している。世界のプレートの配置はこちらを参照

 このため、世界の地震活火山で解放されるエネルギーの約10%は日本とその周囲でのものになっている。世界的に見ても、地質活動が非常に活発な地域である。こうした変動は今日も続いている。海溝(トラフ)の軸−地震帯(浅い地震)−火山フロントが平行して並んでいる典型的な島弧(弧状列島)である。

 基本的には日本列島はアジア大陸の端にある、太平洋プレートとフィリピンプレートの沈み込みに伴う付加によって生じた付加体で、太平洋側の方ほど新しい地層・岩体が分布していることが多い。

日本列島の地下:財団法人全国地質調査業界連合会
http://www.zenchiren.or.jp/tikei/index.htm

 


1998年10月〜1999年10月の日本列島の変動
国土地理院:http://mekira.gsi.go.jp/

 日本には、中央構造線と糸魚川−静岡(構造)線という大断層が2本ある。構造線とは大規模な断層で、これを境に両側の地質がまったくことなっている。糸魚川−静岡構造線より東はフォッサマグナ(フォッサ=裂け目、マグナ=大きい)という地溝になっているはずであるが、現在は火山噴出物などで埋まっている。このためフォッサマグナの東縁は不明瞭である。フォッサマグナを境に東を東北日本、西を西南日本という。西南日本は中央構造線により、内帯と外帯に分けられる。これらの大規模構造は、明治政府の招請で来日して日本の地質学の黎明期を指導したナウマンによって発見された。

 中央構造線に接して、北に高温型の領家変成帯片麻岩花こう岩が多い)、南に高圧型の三波川(さんばがわ)変成帯結晶片岩が多い)がある。両者は生成時(両者とも白亜紀(約1億3500万年前〜6500万年前)の付加体であった)は離れていたはずであるが、中央構造線の活動のために、互いに接するようになったのである。この中央構造線は現在も活動している、とくに四国付近は活動度がA級の要注意活断層でもある。

  西南日本外帯は地質構造の帯状分布が見事で、それらは中央構造線に平行に(南海トラフに平行に)分布している。三波川変成帯の南に秩父帯、その南に四万十(しまんと)帯、それぞれに間には上八川(かみやかわ)−池川構造線、仏像構造線が走っている。秩父帯(古生代中期〜中生代中期)は古い付加体、四万十帯(中生代後期〜新生代)は新しい付加体である。なお、古生代等の地質時代区分の表はこちら

日本列島の大規模な地質構造
大鹿村中央構造線博物館:
http://www.osk.janis.or.jp/~mtl-muse/
日本のNOAA衛星写真。紀伊半島−四国の中央構造線がよくわかる。九州では阿蘇火山に隠されれしまった。鹿児島大学
http://arist.edu.kagoshima-u.ac.jp/sing/f/linea.html

 西南日本内帯にも、領家−三波川変成帯のように、高温型の飛騨変成帯と高圧型の三郡(さんぐん)変成帯のペアが見られる。また、飛騨変成帯の南(飛騨外縁帯)の岐阜県七宋町の上麻生れき岩中のれき(片麻岩のれき)は、日本で一番古い20億年という年代を示す。もちろんこれは、れき岩の地層ができた年代ではなく(地層自身はジュラ紀〜白亜紀のもの)、れき岩の地層のもととなった(侵食された)片麻岩の年代である。この近く上宝町からは、日本最古の化石(約4億5000万年前のオルドビス紀の貝形虫=ミジンコの仲間)やコノドントも発見された。また、福井県などに分布する手取層群という中生代ジュラ紀〜白亜紀の地層からは恐竜を含むたくさんの化石が採集されている。

 糸魚川−静岡構造線はユーラシアプレートと北米プレートの境界と考えられるようになってきた(一番上の図を参照)。これに従うと、西南日本はユーラシアプレートに、東北日本は北米プレートに乗っていることになる。東北日本でも古生代の付加体(上越帯)があることがわかった。また北上山地の南部には古生代後期の地層も分布する。北上山地北部は中生代の付加体らしい。

中央構造線:地震調査研究推進本部
http://www.jishin.go.jp/main/katsudanso/index.htm(2009年3月6日現在リンク切れ)
長野県大鹿村の中央構造線博物館。中央構造線のほぼ真上にある。2006年7月30日撮影。
http://www.osk.janis.or.jp/~mtl-muse/
大鹿村安康(あんこう)で見られる中央構造線の露頭。2006年7月30日撮影。7月26日の大雨で露頭はほとんど埋まってしまったらしい。埋もれる前の写真は上記中央構造線博物館サイトを参照。
※ 2007年6月末にクリーニングが終わり、現在ではまた中央構造線(断層)がよく見られるようになったらしい。上記サイトを参照。

 北海道の変成帯は、太平洋側に高温型の日高帯、日本海側に高圧型の神居古潭(かむいこたん)帯と、他とは逆の配置になっている。これは、かつては別々の大陸片だったものがプレートの動きに運ばれてくっついたという解釈がある。また、これらの変成帯や地層群は南北に走っているが、火山帯(火山フロント)はこれを横切るように千島列島から東北日本へ伸びている。


北海道の地質区分:産業総合研究所太田氏
http://staff.aist.go.jp/ohta-e/geomap/gmap.htm

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用語と補足説明

ナウマンナウマン(Edmund Naumann、ドイツ、1854年〜1927年)は、明治政府に招請されて来日したいわゆるおやとい外人である。1875年(明治8年)に来日し、1877年に東京大学初代地質学教授、1879年〜1985年まで地質調査所(当時は内務省地理局地質課)。少ないデータから、中央構造線、糸魚川−静岡構造線、フォッサマグナなどを確認し命名した。またゾウの化石も研究し、ナウマン象と名付けた。

若いころのナウマン。糸魚川市フォッサマグナ・ミュージアム
ナウマンの詳しい伝記もある。
http://www.city.itoigawa.niigata.jp/fmm/
outline-menu/03outline-naumann/
03naumann.html#ナウマン博士ってどんな人?
ナウマン象の化石:北海道忠類村忠類ナウマン記念館。ナウマン象は十数万年前の氷期に陸づたいに大陸から渡ってた。
http://museum-dir.tokyo.jst.go.jp/01-024/01-024.htm

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活断層の活動度過去の記録、地質調査から1000年あたりの変位量を求め、それに基づきA級〜C級の評価がなされる。中央構造線や、糸魚川−静岡構造線は、その一部が活動度A級と評価されている活断層である。A級の活断層としては、国府津−松田断層(神奈川)、丹那断層(静岡)、富士川断層(静岡)、根尾谷断層(岐阜)、阿寺断層(岐阜)、跡津川断層(岐阜)などがある。


活断層の活動度:地震調査研究推進本部
http://www.jishin.go.jp/main/katsudanso/index.htm

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コノドントカンブリア紀(約5億4200万年前から)〜三畳紀(約2億年前まで)の長い間の地層(海でできた地層、石灰岩など)から、さまさまな形をしたコノドントが出る。リン酸カルシウム(骨の成分)でできており、非常に硬い。正体は長い間不明だったが、時代ごとの形の特徴があるので、正体不明のまま示準化石として使われてきた。コノドントという名は、円錐状の形をしているものが多いので、「円錐状の歯」という意味である。大きさは最大でも6mmくらい、いわゆる微化石である。

 1980年代ころから全身の化石が見つかるようになってきて、正体がわかってきた。これはコノドント動物というヤツメウナギの遠縁の動物で、コノドントはエサを取りすりつぶすための器官であったようだ。

東北大学テクトノ地質学研究室
http://strati.sci.hokudai.ac.jp/topics/hayachine_ud/hayachine_ud.htm
コノドント動物の正体。頭の先にある口にコノドントがあった。
http://www.le.ac.uk/geology/map2/abstractsetc/cavhet.html

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