第二部−2− 地球の科学

第7章 火山(7)

目次
11. 過去の大噴火
(2) 世界
a.ペレー火山(モン・ペレー)
b.クラカトア
c.サントリーニ
用語と補足説明
この章の参考になるサイト

11. 過去の大噴火

(2) 世界

a.ペレー火山(モン・ペレー)

 カリブ海の西インド諸島小アンチル列島(弧状列島)マルチニーク島にある火山。

1792年、1851年にも噴火したこともあり、活発な火山であることはわかっていた。1901年から噴火活動が始まり、1902年5月8日7時50分に大噴火をした。

 このとき発生した火砕流が麓のサン・ピエール市を襲った。住民2,9000名が犠牲になった。生存者は2名という(「世界の大災害」J.コーネル、講談社、昭和52年)。そのうち1名は地下牢に入れられていた死刑囚だった(火砕流が上を通過した)。数日後に助けられたときは背中の火傷が腐り始めていたという。のち、サーカスで「サン・ピエールの囚人」として大火傷の傷跡をみせて余生を送る。

 このとき、火砕流は海にまで達して海上を走り、たまたま港に停泊していた船18隻をも直撃した。かろうじて沈没を免れたのはたった1隻、その乗り組み員も半数以上が犠牲になった(「火の山」(R & B デッカー、西村書店、1995年)) 。

 火砕流の速さ150m/s。温度700〜1000℃と推定されている。死因は、火砕流の直撃、熱と有毒ガス、火災であった。だが、噴火はすでに起こっていたのに、避難が遅れて大惨事になったのは、たまたま火砕流が流れ落ちた先にサン・ピエール市があったこと、さらに市長選挙が近く候補者同士が支持者がいなくなっては困るので避難させることが遅れたという政治的(人為的)な背景もあったことがあげられる。

 この火山のマグマの粘性は極めて高く、この噴火後も高さ305mの溶岩のオリベスク(方尖塔)が出現した。これは火道を昇ってきたマグマ(溶岩)が流れずに、火道の形のまま出現したのである。

1902年の噴火で発生した火砕流 壊滅したサン・ピエール市
頂上にオリベスクが見える オリベスク。1年後には崩壊した。
http://volcano.oregonstate.edu/vwdocs/volc_images/img_mt_pelee.html

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b.クラカトア

 インドネシア、スンダ海峡(スマトラとジャワの間)にある火山島。1680年小噴火。1883年5月20日から噴火。1883年5月26日〜28日に大噴火(27日午前10時2分、10時52分にクライマックス)。プリニー型噴火らしい。火砕流も発生したもよう。インド洋の反対側、4800km離れたマダガスカル近くのロドリゲス島でも爆発音が聞こえた(噴火の4時間後)。5863km離れた東京でも気圧の乱れを観測。噴煙は80kmの高さに達する。15〜40mの津波が引き波なしでジャワ・スマトラを襲う。犠牲者36,000人以上を出した。噴出物総量18億m3。このためにカルデラができ、島自体がが陥没して津波が発生した。

 大惨事になった原因としては、火山灰のため暗黒になって状況がわからなくなった、そうしたところに津波が襲ってきた、さらに町(港)が湾の奥にあり、津波被害を大きくしたということがあげられよう。

 この噴火で成層圏に火山灰が入り込み、世界中でさまざまな色の朝焼け、夕焼け、緑や青の太陽、ビショップ環(いわゆる暈だが、成層圏の氷のためにできる)が観察された。そのため気温の低下を招いたともいわれているが微妙である。

 なお、このクラカトアの噴火については、「クラカトアの大噴火」を参照。

クラカトアの地図。点線がかつての島の大きさ。そのカルデラの中に、再び「クラカトアの子」が頭を出した。 1883年以後も断続的に噴火を繰り返し、成長を続ける「クラカトアの子」
http://volcano.oregonstate.edu/vwdocs/volc_images/southeast_asia/indonesia/krakatau.html

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c.サントリーニ

 エーゲ海に浮かぶ5つの火山島の総称(主島ティラ島)。アトランティス伝説のもとになったともいわれている。

※ アトランティス伝説はプラトンの「ティマイオス」「クリティアス」に記述されている。

 それは、ギリシャの賢人ソロンがエジプトの神官から聞いた話を、プラトンの師ソクラテスがが伝え聞いたという形になっている。それによると、

 「君達の国(ギリシャ)はその昔、外の方アトランティス洋(大西洋?)から同時に全エウロパとアシア(小アジア?)とを不遜に侵攻するいかに強大な勢力を阻止したたことか。実は当時、あそこの大洋は航行できた。というのも、君達はヘラクレスの柱と言っているそうだが、あの海峡の彼方に島があった。その島はリビエ(北アフリカ)とアシアをあわせたより大きく、……」
「大地震と大洪水があったとき、1日と悲惨な1夜にみまわれて、君達の勇壮な人々はすっかり地下に沈み、それからアトランティスも海水に沈んで見えなくなった。……」

 金・銀・オレイカルコス(オリハルコン=光輝く不思議な金属)などの金属資源、象を含む野生動物、山羊などの家畜、あらゆる香料がとれる植物、オリーブ、ヤシ、ブドウ、レモンなどの果実、豊富な穀物に恵まれた土地。王宮を取り巻く3つの濠は長さ9250mの主水路で外洋と結ばれ、巨船も出入りできる。この首都のまわりには東西・南北10スタディオン(1スタディオン=約180m)ごとに区画された、東西3000スタディオン、南北2000スタディオンの平野。 陸軍100万、海軍24万、戦車24万台の兵力。こうした王国があと9つある。このアトランティスがソロンの時代から9000年前に突然消滅した。

※ アトランティスはどこにあったか
(1) そもそもそんなものはなく、プラトンの空想であるという説(プラトンの孫弟子アリストテレスもこの立場)
(2) 「ヘラクレスの柱」=「ジブラルタル海峡」とするとアトランティス洋は
大西洋。アトランティスはアゾレス諸島、カナリア諸島、カリブ海、ガリシャ・バンク(スペイン沖)、北海説など。
→生き残りがエジプト・マヤに逃げ、文明を築いた。
(1521年アステカ帝国の首都テノチティトランを征服したスペインのコルテスは、この首都の形がプラトンの記述するアトランティスと酷似していることに驚いている。テノチティトランが築かれていたテテスコ湖は埋められ、現在メキシコシティになっている。)
(3) 北アフリカ説
(4) 「ヘラクレスの柱」=「ボスフェラス海峡(黒海の入り口)」とするとコーカサス。
(5) アメリカ説(ここで記述された都市の構造は、メキシコで栄えたアステカ帝国の首都テノチティトラン(現在のメキシコシティ)にそっくりであった。)
(6) 地中海説(サントリーニ火山説)

※ サントリーニ火山説の根拠
サントリーニ火山は歴史上しばしば噴火。サントリーニ火山の大噴火の年代を、火山灰中の木片で炭素14法で測定したところ、B.C.1400年頃という結果が出た。

 では、B.C.1400年頃何があったか。
(ア) ミノア文明(クレタ島)の突然の崩壊。
  ティラ島からもミノア文明と同時代の遺跡。←津波の跡も。
(イ)古代エジプト新王朝(第18王朝)のアメン・ホテプV世の政策・宗教の転換=侵略から平和主義、多神教から一神教(太陽神=アトン)→アメン・ホテプW世(イクン・アトン)←火山灰のため太陽が輝かなくなった?
(ウ) 聖書の記述
  「出エジプト記」などで火山灰、津波の来襲? ペリシテ人=クレタ島からの難民?
(エ)地中海の制海権ミノアからフェニキアへ

 B.C.1400年のサントリン火山の大爆発の噴火のエネルギーは1020J程度だったと推定される(M8.5の地震の100倍、広島原爆100万個分、クラカタウの5倍)。前後3回の噴火でカルデラ形成。30km以上の高さに達する噴煙、火山灰はクレタ、エジプト、カナンをおおう。発生時200mを越える巨大津波発生、20〜30分でクレタ島北岸へ(波高20〜30m)、2時間程度でエジプト、シリア(波高数m)に達する。大気中に拡散した火山灰で気温低下、さらには凶作、疫病が蔓延した。

 これらが上の(ア)〜(エ)の原因となり、のちにアトランティス伝説を生んだ。(プラトンの記述したアトランティスの規模には誇張があるが、風土は地中海のものである。)

 もっとも、アトランティス伝説がほんとうにサントリーニ火山の大噴火をもとにしているかどうかについては、疑問であるという人も多い。なお、サントリーニ火山については、「海のなかの炎 サントリーニ火山の自然史とアトランティス伝説」、「かけがえのない地球 6.環境 (2)地球温暖化-b-」も参照。

サントリーニ火山の位置(左)と衛星写真(右)。カルデラの中央に再び火山島が出現している。
http://www.santorini.net/112.html
厚さ50mにも達する火砕流などの堆積物(シラスみたいなもの)。 火山灰に埋まっていたミノア文明時代のあと。犠牲者は発掘されていないので、避難できた?

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用語と補足説明

犠牲者を多く出した噴火Volcano World資料をもとにした下の表参照。日本と東南アジアでたくさんの犠牲者が出ていること、火砕流の被害が多いことがわかる。

犠牲者数 火山 おもな災害
92,000 タンボラ(インドネシア、 1815 噴火後の飢餓
36,417 クラカトア(インドネシア) 1883 津波
29,025 ペレー火山 1902 火砕流
25,000 ネバド・デル・ルイス火山(コロンビア) 1985 泥流
14,300 雲仙普賢岳 1792 火山体の崩壊による津波
9,350 ラキ(アイスランド) 1783 飢餓
5,110 ケルート(インドネシア) 1919 泥流
4,011 ガルングング(インドネシア) 1882 泥流
3,500 ベスビオ(イタリア) 1631 泥流、溶岩流
3,360 ベスビオ(イタリア) 79 火砕流、火山灰の降下
2,957 パパンダバン(インドネシア) 1772 火砕流
2,942 ラミントン(パプアニーギニア) 1951 火砕流
2,000 エルチチョン(メキシコ) 1982 火砕流
1,680 スーフリエール(クアドループ(仏領)) 1902 火砕流
1,475 大島 1741 津波
1,377 浅間山(日本) 1783 火砕流、泥流
1,335 タール(フィリピン) 1911 火砕流
1,200 マヨン(フィリピン) 1814 泥流
1,184 アグン(インドネシア) 1963 火砕流
1,000 コトパクシ(エクアドル) 1877 泥流
800 ピナツボ(フィリピン) 1991 家屋倒壊、疫病
700 駒ヶ岳 1640 津波
700 ネバド・デル・ルイス火山(コロンビア) 1845 泥流
500 ヒボクヒボク(フィリピン) 1951 火砕流

 タンボラの噴火では噴出物総量100億m3が放出された。噴火のエネルギーは1020(1914年の桜島の100倍程度)に近いと推定されており、有史以後としては最大の噴火といわれている。

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ソロンソロン(紀元前638年?〜559年?)は、政治家・立法家、さらには詩人で賢人といわれ、ギリシャ民主制の基礎を築いた。エジプトなどにも外遊した。外遊したのは貴族と平民の対立を解消しようとして、逆に両者の恨みを買ってしまった時期だという。

プラトンプラトン(紀元前482年?〜347年?)は大哲学者ソクラテスの弟子である。アカデミアという学校を創設して若い人の総合的な教育にあたった。このときの生徒に若き日のアリストテレスがいる。著書は師ソクラテスとの対話という形になっているものが多い(がそれに借りてプラトンの考えが述べられている)。イデア(真善美)に迫るための認識(エスピテーメー)重要視する。アトランティスの話は彼の著作「ティマイオス」と「クリティアス」に出ている。

ソクラテスソクラテス(紀元前470(469)年〜399年)。歩きながらの対話(逍遙と問答)というスタイルをつくった。「自分は『知らない』ということ知っているので、他の知者よりも知っている」という立場。不敬罪で死刑判決を受けたソクラテスは、逃げようとすれば逃げられたようだが、国法に従って毒杯を仰いで死んだ。

アリストテレスアリストテレス(紀元前384年〜322年)は、それまでに得られたさまざまな知識を総合してまとめた。「万学の祖」ともいわれる。三段論法を完成させたといわれる。といにのちのイスラム社会、中世ヨーロッパ社会に与えた影響は大きい。若いころ、アレクサンドロス大王の家庭教師もやっていた。

アレクサンドロス大王アレクサンドロス(紀元前356年〜323年)は、ギリシャの北にある小国マケドニアを継いで、ギリシャをまとめ、当時の大国ペルシャを征服し、インド(インダス川)にまで達する大帝国を打ち立てた。彼の死後、その帝国は帝国は大きく4つに分裂する。その一つがエジプトに根拠を持つプトレマイオス王朝である。

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アステカ帝国14世紀から1521年まで、テノチティトラン(現在のメキシコシティ)を中心に栄えた。わずか600名(黒人・インディオも混ぜて)の手勢を率いたスペインのコルテスによって、1521年にあっさりと征服されてしまう。テノチティトランは湖の真ん中の島の上の都市であり、その構造がプラトンの記述したアトランティスに、規模はもちろん小さいが非常に似ていたのである。コルテスは大変に驚いたという。その後、まわりの湖も埋め立てられ、現在のメキシコシティになった。そのかつて湖だった埋め立て地の上のメキシコシティは地盤が悪く、それほど大きくない地震の揺れによってもたびたび大きな被害が出ている。

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この章の参考となるサイト

火山学者にきいてみよう(日本火山学会):http://hakone.eri.u-tokyo.ac.jp/kazan/Question/br/qa-frame.html

フィールド火山学(群馬大学早川由起夫氏):http://www.hayakawayukio.jp/kazan/field/

Volcano World:http://volcano.oregonstate.edu/

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